「迷い」と「決断」の狭間にあるもの。

こんにちは、音陰です。

 

先ほど、下書きを完成させようと思いはてなブログのHPを見たら、面白そうなコンテストがあったので書いてみることにします。

 

 

 

「迷い」と「決断」についてのエピソードを投稿してくださいとのこと。

 

人生は「迷い」と「決断」ばかりなので何のエピソードを書こうかと数秒考えました。

 

はい、私は中学三年生の時について2つ、エピソードを書こうと思います。

 

 

1.入院するか、しないか。

私は、中学一年生の終わりから精神的に病み、不登校保健室登校をしながら毎日絶望に苦しめられていました。

中学三年生の初めは頑張って学校に行っていましたが、やはりぶり返して不登校へ。

 

去年の秋ごろ(中学三年生の秋)、以前よりも悪化し、毎日が希死念慮で荒らされていました。

 

 

親に心配されたくて、わざと見つかるように非定型縊死での首つり。

もちろん見つかりました。

 

親から医者へ伝えられた際、

 

「入院したほうがいいです。このままでは○○さんの身に危険が及びます。」

「一度ご家族と相談してください。今日以降、また精神的に危ないと思ったらすぐに来てください。」

 

と言われました。

 

当時私は、

入院する=『家』という安全な場所から離れなくてはいけない

という考えがあり、入院は絶対したくないと思っていました。

 

 

 

そして、その日の夜。

やはり私は希死念慮に支配されました。

 

 

我慢できずに首つりをする私、

それを発見する母親。

 

 

からしたらどれだけ複雑な心境だったか。

 

「つらいの、苦しいの?とりあえず紐外そっか。」

 

 

…その日の夜についての記憶はそれ以上覚えていません。

 

 

次の日、私は入院する際の荷物を入院経験者の姉に聞き、シャンプーなどの必要なものを揃え

父親、そして仕事から帰ってきた母親と病院へ。

 

その後私がどうしたかは言うまでもないでしょう。

 

 

 

 

今でもその当時のことがやんわりと思い出せます。

今、こうやって元気に生きれている自分を見ると

 

「あぁ、成長したなぁ。」

 

と思います。

 

 

 

2.そのまま進学か、受験するか。

※前のエピソードと少し時期が逆ですが悪しからず。

 

 

私は中学受験で中高一貫校を受け、入学したわけですが

まぁこの精神状態ではそのまま上がっても単位を落とすことはわかっていました。

 

しかし、中高一貫校

「そのまま高校受験をすると、落ちた際に元の中高一貫校の高校へは進学できない。

 しかし、編入では受験に落ちても影響しない。」

という決まりがありました。

 

単位を落とす可能性があるがそのまま進学するか、

それとも、一か八かで高校受験をするか。

 

留年に関してはもう論外でした。

 

 

そう考えていたころ、母親から

「もし受験するなら、単位制高校はどうかな。」

と、学校の名前を伝えられました。

 

今まで『単位制高校』なんか言葉も知りませんでした。

 

しかしすぐには決められず、三か月ほど迷い

 

 

 私は、落ちるかもしれないが高校受験をすることに。

 

 

 

受験に関しては謎の自信があった私(自分でも不思議です)。

無事受かり、現在通っています。

 

 

 「迷い」と「決断」の狭間にあるものとは。

人は迷うとき、決断する時に必ず「理性」と「感情」が関わってきます。

 

例えば、

 「最近話題のパンケーキ、おいしそうだなぁ、食べたいなぁ。

  でも今、夏に向けてダイエット中だし……」

 

という状況になったとき、貴方はどうするか。

 

1.別にパンケーキくらい大丈夫だよね。食べたいから食べよう!

2.別にパンケーキは今じゃなくても食べられるし、今はダイエット中だから食べない。

 

1は「感情」で決断し、2は「理性」で決断しています。

 

もちろん、○○で決断したほうが良いなどはありません。

たとえ「感情」で決断しようが「理性」で決断しようが、その後自分に及ぼす影響は決断した後の自分の行動(パンケーキを食べる、食べないのアクションは含めない)で決まります。

 

 

つまり私が言いたいことは、

 

どんな決断をしようが、結果は同じではない。

自分の行動がその結果を作り上げる。

 

ということです。

 

 

 

 

「自分にとって不都合な決断をしようが、

その中で自分が行動し、良い結果を作り上げる。」

 

 

 

 

 

これは人生を創る上で大事なことではないでしょうか。